東京地方裁判所 平成9年(ワ)21402号 判決 1999年4月20日
原告
栗田テル
ほか二名
被告
国際興業株式会社
ほか一名
主文
一 被告らは、連帯して、原告栗田テルに対し、金一三四二万七三七五円及びこれに対する平成八年一〇月一五日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
二 被告らは、連帯して、原告村上八重子及び同栗田実に対し、それぞれ金六七一万三六八七円及びこれに対する平成八年一〇月一五日から各完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
五 この判決は、第一項及び第二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、各自
原告栗田テルに対して金二〇三五万一一四七円
同村上八重子に対して金一〇一七万五五七三円
同栗田実に対して金一〇一七万五五七三円
及びそれぞれに対する平成八年一〇月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、以下に述べる交通事故につき、原告らが、被告らに対し、民法七〇九条、民法七一五条及び自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 原告らの主張
1 交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生
(一) 日時 平成八年一〇月一五日午前一〇時三一分ころ
(二) 場所 東京都北区西が丘三丁目一五番付近の交差点(以下、「本件現場」という)
(三) 加害者 大型バス(練馬二二か六二七七、以下、「加害車両」という。)を運転していた被告我妻道昭(以下、「被告我妻」という。)
(四) 被害者 本件現場を歩行していた亡栗田義治(以下、「亡義治」という。)
(五) 態様 被告我妻の運転する大型バスが本件現場の交差点を左折してきて、横断歩道を歩行中の亡義治に衝突し、亡義治をその場に転倒させた。
(六) 結果 亡義治は、事故当日の午後六時二七分ころ、硬膜外血腫、右側頭骨骨折により死亡した。
2 被告らの責任
本件事故は、被告我妻の前方不注視により生じたものであり、同被告は民法七〇九条により、被告国際興業株式会社(以下、「被告会社」という。)は、加害車両の保有者であると同時に、被告我妻の使用者であり、本件事故は、被告我妻が被告会社の業務である路線バスの運行の際に発生させたのであるから、自賠法三条及び民法七一五条により、それぞれ、原告らに対し損害賠償責任を負う。
3 損害
原告らは、亡義治には後に明記するような損害が発生したと主張している。
詳細は、当裁判所の判断の箇所で原告らの主張を示しながら判断を示す。
4 相続
亡義治は前記のとおり死亡したので、その損害賠償請求権は、その相続人である原告ら(原告栗田テルは亡義治の妻、その余の原告らは亡義治の子供であり、他に相続人はいない。)が、法定相続分に応じて取得した。
二 争点
本件の争点は、被告らに責任が認められるか、認められるとした場合に亡義治にも過失を認めて過失相殺するべきかどうかという点である。
この点に関して、被告らは、次のように主張している。
被告らは、本件事故は、亡義治が、散歩に連れていた犬に引っ張られて路上に転倒したことによるもので、加害車両と亡義治は接触していないから、被告らになんらの責任もないと主張している。
また、仮に、亡義治と加害車両が接触していたとしても、亡義治が、被告我妻に対して先に行くように左手を挙げて合図したために、これを信じて進行したところ、亡義治が急に加害車両の前に出てきたために、ハンドルやブレーキ操作をもってしても、亡義治との衝突を回避できなかったのであり、事故当時加害車両には構造上も機能上も障害がなかったから、被告我妻に過失がなかったことはもとより、被告会社も、自賠法三条ただし書により免責される。
さらに、免責の主張が認められないにしても、被害者である亡義治には重大な過失があるから、過失相殺がなされるべきである。
第三当裁判所の判断
一 被告らの責任について
1 亡義治は、犬をつれて歩いていた際、本件現場の横断歩道上、加害車両の前部正面のすぐ前に倒れ、頭部外傷(脳挫傷左右側頭葉底部、くも膜下出血、脳腫脹、脳ヘルニア、頭蓋冠、頭蓋底骨折、右側頭部皮下出血)、右大腿骨骨折、左肩部皮下出血、左大腿外側・膝関節部外側皮下出血等の外傷を負い、その結果死亡した(この点は、当事者間に争いはない。)。
このような外形的な事実だけ見ても、加害車両が亡義治に衝突したことを推認することはあながち不当とは言えない。
2 被告らは、被告我妻の供述を基に次のように主張して、加害車両と亡義治は接触していないとしている。
被告我妻は、加害車両を運転して別紙図面の下方から進行してきて、本件交差点にさしかかり、前方の信号が赤であったので停止線で一度停止したところ、同僚のバスが交差点で右折して加害車両に対向接近してきたので、接触を防ぐために少し前進して再度停止した。
まもなく信号が青になったので発進し、本件交差点を左折して交差点出口の横断歩道にさしかかったところ、右側の歩道上に犬を連れ(右手で綱を持っていた)、左手で杖を持った亡義治が立っているのを認め、横断歩道手前一ないし一・五メートルの地点で停止した。すると、亡義治は、左手で持った杖を左右に振って被告我妻に対して先に行くようにという合図を出したので、被告我妻は、右手を挙げて軽く会釈をして反対の左方を見て左方からの通行人の有無と左後方から来る車両の有無をサイドミラーで確認して発進した。
ところが、加害車両が動き始めたと同じころ、バスのほぼ中央辺りを犬が右から左へ走っていくのが見えたので、ただちに強くブレーキを踏んで停止の措置をとった。なお、犬が走っていくのが見えたのと同じころ、右側サイドミラーの下あたりに、人間の肩から上の人影が見えたが、その人影は一瞬見えただけで見えなくなった。
被告我妻は、人影が見えなくなったので、すぐサイドブレーキを引いて、運転席で腰を上げて前を見たところ、亡義治がバスの前に倒れていたのが見えた。
被告我妻は、左側前部のドアから降りて倒れている亡義治のところへ行こうとしたが、その際、五〇歳くらいの男性が近寄ってきて、犬が亡義治を引きずったことを告げ、犬を歩道と車道の境にあるガードレールに繋いだ。
被告我妻が、倒れている亡義治に近づくと、立ち上がろうとしていたので、そのまま寝ていた方がよいですよといって寝かせておいた。
被告我妻が亡義治が先に行ってもよいという合図をしたので、左方の安全確認をして発進し、犬が走っていくのが見えて停止するまでの間にバスが移動した距離は一ないし一・五メートル、停止した場所は、車両の左側前部が横断歩道の白線の中へ〇・四メートル位入ったところであり、右側前部は白線に入るか入らないか、ぎりぎりのところである。
最終的に停止していたバスと倒れていた亡義治の位置関係は、
ア バスのほぼ中央の前に倒れていた。
イ 足がバスの方向を向き、頭はバスとは反対の方向を向いていた。
ウ 亡義治の身体は、バスに対して直角に倒れていたのではなく、左斜め前方に向いており、顔は左の方を向いていた。
エ 右手は頭の方に挙げ、左手は腰の辺りにあり、足は少し曲げていた。
オ 足の先端からバスの前部までは約〇・四メートルであった。
3 そこで、被告らの前記の主張をも念頭におきながら、亡義治と加害車両との接触の有無について検討する。
(一) 車両と人間との衝突または接触の有無の判断には、車両及び人間に衝突または接触の痕跡が残っていないかを検討することが重要である。
加害車両の前面の写真(乙第四号証の一ないし五、これは事故の翌日に警察の鑑識課職員の調査した際に、被告会社の職員が撮影したもの)を見ると、確かに肉眼では判別困難ではあるが、数箇所布で拭いたような痕跡が認められる。これは、加害車両と亡義治が接触した際に遺された痕跡であると見る余地がある。なぜなら、その痕跡の位置は、上下には幅があるものの、左右には比較的近く、亡義治の身長(一六三センチメートル、甲第二六号証)とも矛盾しないからである。被告らは、右の痕跡が、肉眼では見えない程度のものであることや離れて数箇所にあることをあげて衝突の際の痕跡ではないと主張するが、加害車両と亡義治の衝突(接触)は一瞬のことであると推認され、はっきりとした痕跡が残らなくとも特に不自然ではないと考えられること、若干離れた数箇所にあることも、乙第四号証の二を見れば分かるように上下に離れているのであって、亡義治が立った状態で加害車両と接触していることを考慮すれば、何ら不合理なことではない。
次に、亡義治の身体には、前記のとおり、死因となる高度の頭部外傷のほかに、右大腿骨骨折等の多発性の外傷が認められた。このような外傷は単に自ら転倒してできる可能性が低いばかりか、仮に、連れていた犬に引っ張られたとしても、その外力だけでこのような強度な損傷が生じるとは考えがたい(甲第八号証、第一二号証)。まして、本件で問題となっている犬は、さして大きくない、犬としては相当年齢の高い犬であり(約二年後に老衰で死亡)、しかも研究のために片肺が切除されている犬で(甲第一三号証、第二六号証)、そのような犬が亡義治を路面に相当強く打ち付けるほど強く引っ張ることはできないものと考えられるからである。
また、被告らは、亡義治の身体の損傷が右側が重く、左側は比較的軽微であることをあげて、接触のなかったことを主張してもいる。しかし、ほぼ争いのない亡義治の横断態様を考慮すると、仮に、加害車両と亡義治が接触したとすると、横断歩道を右から左に渡っていた亡義治の身体の左側に加害車両が接触し、その衝撃で路面に右側から倒れたものと想定されるのであるから、加害車両が一時停止後の発進時に起きた事故であり、加害車両の速度はさして出ていなかったことを考慮すれば、むしろ、路面に倒れた際の衝撃の方が大きかったとしても全く不自然ではない。具体的に状況をもふまえれば、亡義治の身体の損傷は、原告ら主張の事故態様であることと合理的に符合するものと評価できる。
(二) 次に、亡義治が倒れていた際の、体の位置や向き等を検討する。
この点は、被告我妻の説明に従うことになるが、重要なのは、足がバスに向き、頭がバスの反対方向に向いて亡義治が転倒しており、バスと亡義治の足の先端と距離は僅か四〇センチメートルしか離れていないことである。
このような転倒時の姿勢から見る限り、亡義治は、バスとの接触により外力を主として上半身に受けて、バスの反対側に倒れ込んだものと考えるのが最も合理的である。
被告らが主張するように、仮に、犬に引きずられて転倒したとすれば、犬はバスの前を右から左に走って行ったというのであるから(被告我妻供述)、亡義治の転倒時の態勢は、バス前面に対して平行に転倒するのが通常であろう。
亡義治の転倒時の位置や向きは、救急車が来るまでの時間そのままになっていたということもあって、被告我妻の記憶に混乱の生じにくい部分である。そして、転倒した方向は、正に加えられた外力を率直に反映するものとして重視されるべきであり、本件は、この点からも加害車両と亡義治の接触のあったことを有力に物語っていると評価できる。
(三) 被告我妻の事故直後の言動
被告我妻は、事故直後に通報により駆けつけた消防署員に対して、事故状況について、「交差点で犬を連れた老人をはね受傷させた」と明らかに加害車両と亡義治の接触を前提とした表現を用いて説明している(甲第一七号証)。
被告我妻は、法廷において、この点については分からないとしているが、被告我妻の説明なしでこのような記述がなされることはほとんど考え難いことである。
(四) 以上に指摘した諸点を総合的に検討するだけで、本件事故は、亡義治が加害車両と接触したために起きた事故であると認定することができる。
被告らは、前述のように、加害車両と亡義治の接触がないことを繍々述べる。たしかに、犬が事故後ガードレールに繋がれていた事実を認めることはできるが、そのことから直ちに、亡義治が犬に引かれてきたと発言した第三者の存在を認定することはできないし、また、かりに、犬に引かれたという事実があったとしても、右考察したところによれば、結局、亡義治は加害車両との接触によって転倒したものと認定することができるのである(犬に引かれた力で加害車両との接触なしに転倒したとの反証はなされていない。)から、これ以上被告らの主張について検討する必要はない。
4 以上により、本件は、加害車両と亡義治の接触による事故であることは明らかであるが、被告我妻は、本件事故現場において、歩道上に亡義治がいることを確認していながら、横断歩道上で亡義治と衝突したもので、亡義治が青信号で横断歩行中であったことを考えると、被告我妻に亡義治の動静不注視、安全確認義務違反があることは明白であり(犬が走って行くところはフロントガラス越しに見ていながら、亡義治の姿はサイドミラーで肩から上しか見えなかったとしているが、これは、原告らが主張するように、そのこと自体、被告我妻が加害車両を発進進行させていたことを示すものである。)、自賠法三条ただし書の免責の主張が成立しないことはもとより、過失相殺についても、右事情に加え、亡義治が本件事故当時七五歳という老人であったことも加味すると、かりに、亡義治に加害車両の直前横断の可能性があったとしても、過失相殺はすべきではない。
なお、亡義治が、先に通行するように杖で合図をしたとの点は、被告我妻の供述しかなく、動作の見間違いの可能性もあり、また、犬が亡義治の停止しようとの意思に反して横断歩道上を引いていった可能性は、前述した犬の状況から見てほとんど考えられないから、亡義治が被告我妻の説明するような意味合いの合図を送ったと認めることはできない。
二 損害額について
損害額ごとに、必要な限度で当事者の主張を簡潔に示しつつ、当裁判所の判断を示すこととする。原告らは、平成一一年二月一二日付け準備書面において、葬儀費用について額を修正し、その結果総額でも若干金額が減少したが、請求の趣旨の減縮は行っていない。なお、結論を明示するために、各損害ごとに裁判所の認定額を冒頭に記載し、併せて括弧内に原告らの請求額を記載する。
1 慰謝料 金二一〇〇万円(金三〇〇〇万円)
亡義治は、本件事故により死亡した。事故当時七五歳で、既に仕事には就いておらず、家族関係は、いずれも原告となっている、妻と子供二人である(甲第二六号証等)。
原告らは、被告らが一度は責任を認めておきながらこれを翻し、その責任を争っていることを非難し、慰謝料の増額事由として主張している。
確かに被告会社としては、一度は責任を認めた(甲第九号証、第一〇号証)のに、本訴においては、これを激しく争っており、それが被害感情をますます増大させていることは認められる。
しかし、他面において、被告我妻は、ある程度一貫して加害車両と亡義治の接触を否定していたことが窺われるから、本訴において、責任を争ったこと自体が慰謝料増額事由になると考えることは相当ではない。
前述の事情のほか、本件に顕れた一切の事情を考慮し、本件の慰謝料としては金二一〇〇万円とするのが相当である。
2 逸失利益 金二二五万四七五一円(金二二八万五九二三円)
亡義治は、年間五二万〇八〇〇円の国民年金を受領していたものと認めることができる(甲第三号証の一ないし五)。また、亡義治は、不動産の賃貸収入や配当収入もあり、合計で金五〇〇万円以上あったものと認められる(甲第四号証、第二六号証)。
したがって、亡義治の年齢や、既に仕事に就いていない状態等を勘案すれば、生活費は、不動産からの収入や配当収入により賄えるものと考え差し支えないから、年金分については、生活費控除をせず、取得可能期間としては、原告らの主張するとおり、平均余命の約半分である五年として、五パーセントの割合により中間利息をライプニッツ係数(四・三二九四)を用いて控除すると、逸失利益は金二二五万四七五一円となる。
3 葬儀費用等 金一二〇万円(金四八八万九九九三円)
亡義治の葬儀のために、相当額の支出をしていることは認められるが、本件交通事故との因果関係があるものとして被告らに賠償を求めることができる金額は金一二〇万円とするのが相当である。
4 弁護士費用 金二四〇万円
原告らが、本件訴訟の追行を原告ら代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、認容額、審理経過等を総合勘案して、被告に賠償を求められる弁護士費用としては金二四〇万円とするのが相当である。
5 総額 金二六八五万四七五一円
以上の合計は、金二六八五万四七五一円である。これを、原告らが、各法定相続分に応じて、取得する(小数点以下は切り捨て)。
第四結論
以上のとおり、原告らの本訴請求は、原告栗田テルについて金一三四二万七三七五円、原告村上八重子及び同栗田実についてそれぞれ金六七一万三六八七円並にこれに対する平成八年一〇月一五日から各完済に至るまで年五パーセントの遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので、主文のとおり判決する。
(裁判官 村山浩昭)
別紙